失敗

フリーカメラマンになってまだ最初の頃だ。ブロニカSQというロクロクの中版カメラを使って料理を撮る仕事があった。ブロニカはポラロイドを使うときには多重露光モードに切り替えなければならない。

フィルムバックを装着する時にうっかりレバーを戻すのを忘れてそのままシャッターを切ってしまうと、当然全てのカットが一駒に露光されてそこだけ真っ白になってしまう。

それをやってしまった。現像所で上がりを見たときには事態を信じられず、何度もポジを見返した。でもそこには白くとんだカットがあるだけ…フィルバック2つで撮り分けるということはしていなかった。翌日、編集部に菓子折りを持参し頭を下げた。そのときお茶を出してくれた編集者が今の僕の妻となっている。

その後も失敗は続く。髪の毛がカメラ内に入っていたとか、ホコリが写っていたとか。その度に現像上がりを見ては、血の気が引く。誇張ではない、本当に血が頭から足へと落ちていく。体がまるで地中に埋まったような気持ちになるのだ。ひとつ失敗してひとつ覚える。でもまだまだどこかに失敗の種が潜んでいる。

デジタル撮影になったら失敗は少なくなるのだろうか。その場で確認して即納品。いいこと尽くめの気がするが、カメラマンへのソンケイは無くなるだろうな。「そこ、もうちょっと右」とかモニター越しに言われる日は近い。

(2003年『旅するカメラ』「失敗!」より抜粋)

 

 

本当にそうなってしまったな。今や多くの撮影現場ではカメラはパソコンとケーブルで繋がれ、撮影ごとにチェッできるようになっている。それどころかケーブルすら必要なく、各人のタブレットに転送することも簡単。現在発売されているはほぼすべてのカメラには画像転送のためのwifi機能がついている。

モデル撮影では、もはや誰もモデルを見ちゃいない。スタッフや関係者はモニターを囲み、あれこれ言い合うのである。やれシャツがよれているだの、表情がいまいちだの、好き勝手。

パソコンのENTERキーを押せばカメラを遠隔操作することもできる。セッティングが済んで三脚にカメラが据えられている状態ならば、カメラマンでなくとも撮影ができることになる。現にクライアントがパソコンから勝手にシャッターを切り始め、カメラマンが激怒したという話があった。ついに「シャッターを切るのはカメラマンだけ」という主権を取られてしまったのである。

 

ある映画監督のインタビューでは、取材に来たカメラマンが1枚撮るごとに編集者に確認を取ることに対し監督は苛立ちを見せ「パソコンのケーブルを抜いて俺を撮れ」と言ったそうだ。

どうやらそのカメラマンはケーブルをつながないで人物を撮影した経験がなかったらしく、とても困惑していたそうだ。

確かに責任は減った。その場で責任者に逐一確認を取ることで、撮影後「こんなイメージではない」という事態を回避できるようになった。

現像が上がるまで不安に押しつぶされることもない。失敗の種というものは激減したのだ。今にし、て思えばフィルム時代のカメラマンというのは、未来予測者だったのだ。

撮影現場で現像が上がる前に、すでに印刷時にどうなるかを見越すことができる。それを手に入れるには才能があるなしに関わらす肉体的な経験が必要だった。すべてが確認できる今、カメラマンに必要とされるものは何なのだろう。

そういえば映画の撮影がデジタル化する前のフィルム時代、監督はカメラのファインダーを覗くことはしなかったそうだ。つまりどのような構図で撮られているか、監督はわからなかったのだ。

構図を決定するのは「キャメラマン」。映画では撮影者はカメラマンとは呼ばずキャメラマンと呼ばれていた。そこには職能としての特権的な意味合いがあったのだろう。かつてファインダーはたった一人しか覗くことの出来ない神聖なものだったのだ。

それを映画用カメラのファインダーの中に小型CCDカメラを仕込むことで構図をモニターでチェックできるハリウッドシステムを日本に持ち込んだのは、映画畑以外から監督になった伊丹十三氏だった。彼はテレビ出身でモニターでの確認は当たり前のことだったのだ。1985年公開の映画『タンポポ』で、僕は新聞社の取材で撮影の様子を垣間見ることができた。

「ITAMI」と書かれたディレクターチェアに足を組んで座り、小さなブラウン管に映る不鮮明なモノクロ画像を食い入るように見つめていた。当時キャメラマンの存在を無視するのかと批判の声が映画界からあがっていたそうだ。

 撮影の仕事で最後にフィルムを使ったのは2009年だった。そのときすでにフィルムを使うカメラマンはほとんどいなかったと思う。ずっと続けていた仕事で、ポートレートの撮影だった。

その後は「フィルムを使ってもかまわないが、材料費はもう出せない」ということになりデジタルカメラでの撮影と変わっていった。その頃を境にプロラボと言われるプロカメラマンを対象に営業をしていた現像所は次々と閉店していった。

仕事の撮影でフィルムを使うことはもうないだろう。それが許されるとしたら自分がスポンサーとなれる場合だけだ。