決定的瞬間

スポーツ新聞社のベテランカメラマンともなると、ピント合わせの技はほとんど職人の域に達している。その中でも各社一人は神技と呼べる人たちがいた。

撮影しているところを横で見ていると「カーン!」とバッターが打った瞬間にもう「カシャ!カシャ!カシャ!」と3~4の枚シャッター音が聞こえる。しかし肉眼でボールの行方を追っても飛んでいくボールなど見えない。いったいどうやって撮っているのか。

どう考えてもボールより速くレンズを振っている。ピントはいつ合わせるかというと、「レンズを振りながら」ということになる。レンズといっても600ミリの超望遠レンズである。ピントの合う幅は限りなくゼロに等しい。

なのに、重要なプレーやハプニングがあると必ず写っているのだ。しかもピントぴったりで。試合を決定付けたファインプレーやエラー。一瞬を争う一塁ベース上でのランナーと捕球者の交錯。必要とされるものは全て写っていた。

話を聞くとピッチャーの配球、バッターの癖、ランナーの有無、アウトカウント、点差、色々なことを頭に入れてあらかじめ狙いをつけておくらしい。その上で右目でファインダーを、左目でグランド全体を見てボールの行方を追い、守備の人間が動いたところに瞬時にレンズを向ける。ピントはもう長年の経験で三塁ならこのくらい、センターならこのくらいと指が覚えているという。だからバッターが打った瞬間にはシャッターが切られているのだ。

(2003年『旅するカメラ』「ピンボケ」より抜粋)

 

 

これは僕がスポーツ新聞社に入社した1984年の頃の話だ。すでに30年前以上も昔の話になる。フィルムで撮影し、ピントは手で合わせていた。そう言われてもピンとこないかもしれないが。

当時の僕ら新人があこがれていたのはベテランカメラマンKさんだった。どんな場合でもピントは確実に合い、ゲームを左右する一瞬を捉えることができ、デスクから「あのシーンちょうだい」と言われても顔色変えずにそれを差し出すことができる。神業だと思っていた。

Kさんの撮る野球のバッティングの写真は、バットとボールがひっついていて、まるでバットから筍が生えているように見えた。「筍写真」といのは最高の褒め言葉だった。

ちょうどその頃に世界初のオートフォーカス一眼レフ「ミノルタα7」が出た。(ミノルタは2006年にカメラ部門をソニー譲渡することによりカメラ事業から撤退「α」というブランド名は現在の「ソニーα」として受け継がれることになる)

オートフォーカスなど使い物になるとはとても思えなかったが、あっという間にピントは自動で合うのが当たり前の世の中なっていく。まさかスポーツ写真の世界でもオートフォーカスで撮るようになるとは。ピントを合のわせる技術というは長年の経験でしか得られないものだと思っていたのに。

 

僕の新聞社時代の後輩Nは、今でも新聞社でスポーツカメラマンを続けている。現場一筋30年の超ベテランである。NもKさんにあこがれ、Kさんのようなカメラマンになることをめざしてきた。

彼は2013年9月にヤクルトのウラディミール・バレンティン王貞治の持つシーズン56本塁打を超える57本塁打を打ったときに、一塁側カメラマン席からその「決定的瞬間」を捉えた。バットとボールが密着した、まさに筍状態。本人は大きな手応えを感じ、翌朝の新聞一面には大きく自分の写真が使われるなと思ったそうだ。

ところが翌朝使われたのは、ほんの申し訳程度に数センチの丸抜きで使われたにすぎなかった。そのことをイアウト部に文句を言うと「いまどき決定的写真はいらないんですよね」と言われてしまう。スポーツ新聞が求めているのは、もはや決定的瞬間ではなくなっていたのだ。

Kさんがカメラマンとして活躍していた時代、微妙な判定があるとテレビがそのシーンを再生するのだが、静止画状態にするとアナログ時代のテレビでは画面は流れてしまって細かいところが分からない。たとえば選手がベースを踏んでいるか踏んでいないかはテレビでは判別できなかった。

しかし情報量で勝る写真なら、その瞬間がはっきりと写っている。昨夜の判定ではアウトだったが、翌朝の新聞では実はセーフであったということが写真で分かる。これはスポーツ新聞の醍醐味みたいなものであった。

それが現在のテレビではボールがラインに入っているか入っていないかすらコマ送りをすればはっきり見える。ビデオが判定に持ち込まれるようになってひさしい。すべてはゲーム内ではっきりするし、その日のスポーツニュースではハイライト映像が繰り返しスロー再生される。もはや翌朝の新聞がそれをやっても何も新鮮味がないのだ。

Nに今スポーツ新聞に求められているのは何かと聞いてみた。「レイアウト部が言ってくるのはドラマなんですよ。テレビが追い切れないようなドラマを撮ってこいということなんでしょうね」。

今度の東京オリンピックでは8Kテレビ放送が予定されている。8K動画の1コマあたりの情報量は3317万画素もある。東京オリンピックは無理でも、2024年のオリンピックでは新聞や雑誌用のゲーム写真はすべて動画からの切り出しということになってもおかしくない。そうなればシャッターチャンスという概念は消えてなくなるだろう。ピント合わせもシャッターチャンスも決定的瞬間も、Kさんが大事にしてきたことはすべて意味のないものになろうとしている。

Nは「それでも僕はKさんを目標に瞬間を捉えることに一生をかけますよ」と言うのだった。